地方公務員の職級と給与
今回は資産形成の話ではありません。
公務員の給料削れー!
との批判を聞くことはまあまああります(汗)。
しかし、本当はたいして高くないんです。
なんでもかんでも手当がついていた時代は10年以上前の話です。
あくまでも一地方公務員の戯言ですが、ご覧いただければ公務員の高給イメージは払拭されることでしょう。
(まー、私達は世間のガス抜きに使われることも自覚しておりますけども…)
あと、これはあくまでうちの市の場合であって、他の自治体によっては多少変わります。
それでは、いってみましょうー
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給与表の見方について
まず、「職員」「給与条例」でググってみると、いくつかの市の給与条例が出てきます。
そして、条例の末尾の方に別表として「給与表」があるはずです。
小さくて申し訳ないのですが、とある市の給与表です。
(ググったら出ました。)
縦の数字は号を示し、横の数字は級を示しています。
給与額については、「○級〇〇号」という言い方をしますし、辞令にもそのように表記されています。(公務員は給与変わっただけで辞令出るんですよ。)
まず、級とは、職級のことで、うちの場合、
1級、2級→主事
(いわゆるヒラ。大卒ストレート(以下同じ)で入庁後10年間はここ。5年経過で2級昇任。)
3級→主任
(ヒラから脱出。11年目からここ。)
4級→主査、係長
(30後半から40前半あたりで昇任。)
ここらあたりから出世の差がつき始めます。
デキる方は早めに係長となり、係を任されます。
そうではない方、もしくは係のポストがない場合は、係長級(4級)ではありますが、主査の期間が長くなります。
級が同じであっても、主査と係長では号数が違いますので、給与は変わってきます。
ちなみにここまでが、「非管理職」です。
→管理職になると時間外手当(残業代)が付かなくなるため、この時期が1番給与が高くなる。=賞与額も増える。
5級→主幹、課長補佐
(いつ昇進するかは人による。ポストの空き具合、同期の数に影響を受ける。)
ここからが管理職です。
どれだけ働いても基本的に月2万程度の管理職手当がもらえるだけ。=手取りが減る。
6級→参事、課長
(4級と同様に課長ポストがなければ参事に)
7級→参与、次長
(6級に同じ。ここまでいける人は少数。)
8級→部長
(議会答弁してるのはこの方たち。総務部長はトップオブ部長。)
※政令市であればこの上に局長とかいますが、ここでは割愛します。
号は1号からスタートするわけではありません。
2級に昇給する場合、1級時代の給与に近い号になります。
(給与表で言えば右側にスライドします。このことを「渡る」と表現します。)
なお、毎年1月に給与のベースアップがあり、3号給昇給します。(とはいえ五千円程度(泣)
公務員の給与を語る上で忘れてはならないのがラスパイレス指数です。
これは、国家公務員の給与を100とした場合の指数で、だいたいの地方公共団体であれば、90中盤ほどかと思います。
かつては100超えの自治体も散見されましたがもうないんじゃないですかね?
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当然、賞与の額も削られている
10年と少し前(平成の大合併の翌年あたり)に公務員の給与の構造改革がなされ、給与表自体が見直され、給与が低くなりましたが、それに伴い、賞与の額も落ちるわけです。
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公務員の高給説はいかにして形成されたのか
バブル後の90年代後半、私はテレビっ子でして(今では考えられないw)、公務員の高給ぶりを批判する番組が急に増えたなと感じていました。
当時小学校高学年で、公務員の意味はわかっていませんでしたが、そんなオイシい仕事があるんだなーとふんわり思っていました。
公務員の給与は、民間の状況を勘案して、人事院勧告がなされ、国家公務員の給与が増減し、それに県、市町村の順に追随する形となっていますが、
その当時は官民格差がまだあり、今では考えられない程の手当があったものですから、給与が多少減ろうとほとんど痛くない状態だったのだと思われます。
平成の大合併後に給与改革がなされるものの、3,4年後のリーマンショックにより民間はさらに大変なことに…。
余談ですが、私はリーマンショックの年に入庁しましたが、採用試験には、自治体の規模からは考えられない人数がいて驚きました。
それから3,4年は採用試験の受験者が多かったですが、安倍政権になってからは民間が盛り返してきたおかげで受験者が減り、売り手市場の今はほんとに少ないです。
個人的な結論とすれば、
給与改革以前は高給だったかもしれないが、今となっては昔話。
ただ、マス層のガス抜きの手っ取り早い手段として未だにメディアにより批判されている。
ということなのかなと。
長くなりましたがこのへんで。
あざした。