おれ、一回死んでみよっか
○生きてることを実感できるのは、死にかけてるとき。
宗教じゃありません。
考え方の話です。
他の方はわかりませんが、僕の場合、無意識のうちに、
"今まで築いてきたもの"(心の中に存在する自分の行動規範や無意味なルールのようなもの)
を守っていることにふと気づきました。
そして、守っているせいで、
生き方が小さく、そして、窮屈になっているような感覚にふと、襲われました。
○自分自身を、自分が不安(だと思っている)方向へ追い込む
無意識のうちに創られて、自分で守ってる行動規範ってひとそれぞれあると思います。
無意識で創られるのでほんまにやっかいなんです。
自分で顕在化させないと気付けない。
気付いているけれど、無意識のうちに無視してる。
こんなことないですか?
つまり、無意識下にある有象無象を、
意識のフィールドに立たせて、やっつける(自分を構成する要素の幾分かを"殺す")という作業です。
(やる気と根気がかなり必要。ほんとに死んだような気分。)
やはりここらあたりで、ちょっくら"死んで"みないとダメですね。
とは別に、ふと思ったことがもう一つ。
今現在、自分が大学生に戻れたらやってみたかったこと(当時の自分では想像つかなかったこと)があるように、
縛りの多い今の生活(家族、仕事、お金)の中でも、数年後に「あの頃やっとけばよかった」と思えることがあるのではないか。
書き方下手で分かりにくいかもしれません。
つまり、今現在、自分がしている"現実の捉え方"のレベルを上げれば、将来の後悔を減らすことができるのではないかと考えました。
想像の外へ。
そのためには、今の自分を一回殺して、死んでみて、そこから世界を見ないと、現実のワクをはみ出した捉え方はできないのではないかと。
○とにかく、守らない。不安を感じているくらいがちょうどよい。
昔、ドラマのGTOでありましたよね?
引きこもり生徒の部屋の壁を鬼塚英吉がハンマーで壊してたやつです。
自分の中では"ありえない"(と思っていた)ことでも、実際にやってみたら、問題なかった。(むしろ気持ちがいい)
ドラマの例は極端ですけど、こんなことって自分の心と向き合えばいくらでも出てくるような気がします。
ここらでいっちょ、死んでみますかっ!
あざした。